資料集 カナダ人権博物館(ウィニペグ)

概 要

  • winnipeg01
    外観 とにかくデカい!威容
  • winnipeg02
    一階ホール デカい!
  • winnipeg03
    二階ホール デカい!
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    三階ホール デカい!
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    メインテーマはホロコースト
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    ホロコーストの展示が続く
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    毒ガスの排気煙突(実物)
  • winnipeg08
    ホロコーストのビデオ上映
  • winnipeg09
    拷問禁止のパネル米国単独の人権問題はこの一枚だけ
  • winnipeg10
    ダライラマがカナダ名誉市民に中国のチベット人虐殺には触れない
  • winnipeg11
    ソ連の虐殺行為をビデオ上映上映コーナーはナチスとソ連だけ
  • winnipeg12
    人権告発パネルが並ぶ関係ないのに左手前のパネルに慰安婦動画
  • sendakako03
    中国系カナダ人コミュニティの絶大なる支援を受けている※※※ 人権博物館の展示の一番最後にこのパネルが掲げられている ※※※

→ ホロコーストと慰安婦問題を結びつけることが目的なのであろう

大タッチパネルコーナー

三階フロア―を埋め尽くすほどの大きなタッチパネル

  • winnipeg14上の写真は『日々是好日-人間万事塞翁が馬』さんのブログより

このタッチパネルでは15のテーマを取り上げている

  • winnipeg15
    ① 1500~1800年代
    大西洋奴隷貿易ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ
    アフリカ人1200万人が犠牲
  • winnipeg16
    ② 1883~1996年
    レジデンシャルスクール
    カナダ先住民への虐待と虐殺
  • winnipeg17
    ③ 1915~1923年
    アルメニア人虐殺
    オスマン帝国アルメニア人150万人を虐殺
  • winnipeg18
    ④ 1932~1933年
    ホロドモール
    ソ連ウクライナ人工的飢饉で数百万人虐殺
  • winnipeg19
    ⑤ 1937~1945年
    慰安婦制度
    日本帝国5~20万人を性奴隷
  • winnipeg20
    ⑥ 1947年
    インドの分離
    インドとパキスタン宗教戦争で1万人死亡
  • winnipeg21
    ⑦ 1958~1962年
    大躍進
    中華人民共和国3000~4500万人が餓死
  • winnipeg22
    ⑧ 1975~1979年
    カンボジア虐殺
    カンボジアポル・ポトによる虐殺
  • winnipeg23
    ⑨ 1976~1978年
    エチオピアの赤色テロ
    エチオピア反政府系数十万人を殺害
  • winnipeg24
    ⑩ 1976~1983年
    汚い戦争
    アルゼンチン軍事独裁政権による国家テロ
  • winnipeg25
    ⑪ 1982~1983年
    マヤの大虐殺
    グアテマラ軍によるマヤ人虐殺
  • winnipeg26
    ⑫ 1987~1989年
    Anfalキャンペーン
    イラクフセイン政権のクルド人虐殺
  • winnipeg27
    ⑬ 1994年
    ルワンダ大虐殺
    ルワンダフツ族とツチ族の内戦・虐殺
  • winnipeg28
    ⑭ 1995年
    スレブレニツァ虐殺
    ボスニア・ヘルツェゴビナボスニア人8000人以上虐殺
  • winnipeg29
    ⑮ 1996~2001年
    タリバンによる制圧
    アフガニスタンイスラム原理主義支配

何かヘンじゃないか??

→ 虐殺のオンパレードの中に⑤だけ慰安婦??

→ ⑦大躍進だけは餓死?中国だけは飢饉による被害者??

→ アメリカ大陸での数千万人のインディアン虐殺は問題じゃないのか??

→ 中国のチベット人120万人虐殺は問題じゃないのか??他の少数民族も虐殺してるぞ!

カナダには公正という価値観がないのか?
中国からカネをもらってこんな博物館をつくって恥ずかしくないのか?
残念な国だ

では、どんな内容なのか?

1937‐1945 慰安婦制度 日本帝国

  • winnipeg30

 第二次世界大戦中と大戦以前において、日本軍はおおよそ5万から20万人の少女と女性を強制的に性奴隷とした。若干11歳の少女も含まれていた。軍はこの拉致された捕虜達を「慰安婦」と呼ぶことによって、本来の性暴力の目的を覆い隠した。慰安婦は日本軍への性的サービスを提供するために、故郷から遠い戦場前線へ送られた。女性たちは自分の文化と言語から切り離されて、頻繁にレイプされ虐待された。

  • winnipeg31苦境のはじまり

 日本軍の外地への侵略と占領に伴い、強姦がしばしば発生した。日本軍は兵士による性的暴行を抑制する為に、軍売春センターを組織した。

  • winnipeg32強姦の制御

 日本の満洲侵略の期間、日本兵による広範囲にわたる強姦は民衆の怒りを炸裂させ拡大させた。多発するこれらの事態の打開と兵士への性感染症の蔓延を防ぐために、日本軍は兵士用売春施設を設置した。

©Scherl/南ドイツ新聞の写真

  • winnipeg33南京虐殺

 1937年の日本軍の残虐な南京占領中には兵士によるレイプ事件が終焉することはなく、既存するわずかな慰安所では足りないと判明。よって、日本軍はさらなる日本軍専用の慰安所の拡大改革をおこなった。これら慰安所は日本軍占領国の女性が数を占め、日本軍にとってなくてはならないものであった。

ullstein画像/農民共済組合員コレクション

  • winnipeg34犯した罪

 日本軍は何千人もの女性を誘拐し強制的に彼女らを性奴隷とした。誘拐された少女や女性らは故郷から遠く離れた場所へ運ばれ隔離、虐待された上に日本軍への性奉仕を強いられた。日本軍はこれらの強制性奉仕は軍の士気と規律を高めると主張した。

  • winnipeg35騙されて奴隷に

 多くの女性や少女は慰安婦募集業者の誇大広告に騙され、また約束事が嘘とは知らずにそそのかされて性奴隷となっていった。この1944年の韓国の新聞にある慰安婦募集広告を見て応募した女性達は遠地へ運ばれ、性奴隷になるのだとは、まるで分からなかった。

韓国言論財団

  • winnipeg36故郷はるか彼方

 この写真にあるように性奴隷として略取された彼女らは延々と広がる日本軍占領地域の方々へ運ばれていった。女性達は、かつての生活の場、文化、言葉から切り離され、身体的に虐待を受けて、金銭的にも搾取された。

日本軍性奴隷の被害者のためのE-博物館

  • winnipeg37繰り返される暴行

 慰安婦制度によって拘束された少女と女性達は筆舌に尽くしがたい性暴力を日常茶飯事としてそれに耐えた。中国慰安所前で撮られた日付不明のこの写真には性奉仕を受けようと順番待ちをする日本兵らが見える。

日本軍性奴隷の被害者のためのE-博物館

  • winnipeg38否定と歪曲

 第二次世界大戦後何十年もの間、女性たちを性奴隷におとしめた日本軍の行為は、ひたすら隠し続けられた。戦争の歴史と国の歴史は一貫して慰安婦制度に言及することはなかった。

  • winnipeg39教科書批判

 長年にわたり、国家主義者は日本の戦時中の歴史を歪め、女性に性奴隷を強制したことを否定した。この2005年の写真は、反検閲組織の幹部である俵義文が、慰安婦制度が学校の歴史教科書にきちんと記載されていないことを指摘している。

ゲティー・イメージ、AFP、北村敏史による写真

  • winnipeg40国際的否認

 日本の慰安婦制度に関する疑惑を受けて、2007年に日本の指導者たちが、ワシントンポスト紙にお金をかけて意見広告を出した。広告では、日本が女性に性奴隷を強制したことがないことを証明する5つの歴史的な主張がなされた。

ゲティー・イメージ、AFP、J.Richardsによる写真

  • winnipeg41公的な批判

 2007年に安倍晋三首相が、日本が女性に性奴隷を強制したという証拠はないと宣言したとき、彼は広く批判された。この記事では、彼の軽蔑的な意見と責任回避に対して、彼を批判する世界の指導者たちを引き合いに出している。

ウィニペグ フリー プレス

  • winnipeg42沈黙を破って

 慰安婦制度の存在や規模は、1990年代にアジア中の女性達が声を上げるまで広く知られることはなかった。対応として、日本はその制度の存在は認めた。しかし、日本政府は元慰安婦に対してその罪を認めることも金銭的賠償もしなかった。

  • winnipeg43最初の写真

 1962年にこの写真を発見したジャーナリストの千田夏光は慰安婦制度を研究し文章化した最初の人物となった。彼はこの女性たちが伝統的な手法でスーツケースを運ぶ韓国人であると知っていた。しかし、彼女たちが誰なのか、そして何処へ行ったのか疑問に思った。

情報源不明

  • winnipeg44正義を求めて

 1991年に、金学順は自身の経験を語り、そして日本政府に対して訴訟を起こした最初の元慰安婦となった。彼女の訴訟、そしてそれに続く多くの訴訟において、有罪判決や賠償金を得ることはできなかった。しかし、この問題に対する国際的な関心が高まった。

東亜日報、撮影者不明

  • winnipeg45国家謝罪

 この1996年の写真では、フィリピンから来た元慰安婦のマリア・ロサ・ヘンソン、アナスタシア・コルテスとルフィナ・フェルナンデス(左から右)が、日本の橋本龍太郎首相からの謝罪の手紙を見せている。賠償金は民間団体が集めた資金であり、政府からのものではなかった。

AP通信、アルベルト・マルケス撮影

  • winnipeg46認知への叫び

 韓国出身の元慰安婦、李玉善(イ・オクソン)、金順玉(キム・スンオク)、李容洙(イ・ヨンス)、吉元玉(キル・ウォノク)と朴玉順(パク・オクスン)(左から右)は、2007年にソウルの日本大使館の前で賠償を要求した。戦後数十年間、多くの女性はトラウマと戦い続け、性奴隷であったことを耐えてきた。

ロイター、ヨン・ハク撮影

では、中国はどんな内容なのか?

1958~1962年 大躍進 中華人民共和国

  • winnipeg47

 1958年、中国の指導者毛沢東は大躍進と呼ばれる政策を開始した。それは中国を、強い近代的な共産主義国家へと変革するはずだった。小作農は工場や集団農場に参加することを強制された。彼らは莫大な生産目標を達成するよう命令された。しかし、政府が収穫物の分配を行った後には、食糧は僅かしか残らなかった。飢饉が地方を襲った。3000万から4500万人が飢餓で死んだ。

  • winnipeg48苦境のはじまり

 毛沢東の中国と共産党支配は、1949年に始まった。彼は批判を一切許さず、政府の問題を指摘する者は誰でも罰した。彼は中国を強く、近代的な、共産主義国家へと変革するために大躍進を開始した。

  • winnipeg49毛沢東の支配

 共産党指導者の毛沢東は広く尊敬はされたが、鉄の拳を用いて中華人民共和国を支配した。この1949年の写真で、共和国を設立する前月に、毛沢東 は北京郊外で軍隊を閲兵している。彼は、その後数十年、人民解放軍を使って支配を維持した。

ゲッティ イメージズ、ユニバーサル イメージ グループ

  • winnipeg50共同体の形成

 大躍進の期間中、中国の小作農は共同体で生活しそして働くことを強制された。初めは、大収穫と無限の食糧を約束するこれらの改革に、この1958年の写真は、共同体の為に購入されたトラクターを小作農達が賞賛している。

ゲッティ イメージズ、キーストーン‐フランス

  • winnipeg51反保守主義

 中国の指導者毛沢東は批判を憎悪した。彼の反保守主義闘争の期間、(ファイルに示した)YU Shixin を含む50万人以上が政府を批判したことで投獄され拷問され迫害された。中国人民は真実を語ることが危険であると知った。

労働改造所研究財団、ワシントンDC、USA

  • winnipeg52犯した罪

 中国政府が大躍進の期間中に作物を接収するとき、農民の為に残す食糧はごくわずかしかなかった。役人は、人々が飢えていることを知っていたが、飢饉が都市に及ぶまで何もしなかった。多くの人民が不満や発言によって罰せられた。3000万から4500万人の人民が、飢餓によって、或は処罰による負傷によって死亡した。

  • winnipeg53苦難の日々

 中国政府が生産物の共有をはじめたのち、農村に残される食糧はごく僅かしかなかった。人々は雑草、木の皮、そして泥を食べた。都市では人々は最後までゴミをあさった(図示)。国中で飢饉が悪化していったが、農村部の飢餓の写真はほとんど残っていない。

米国議会図書館、版画、写真部門、LC‐DIG‐ppmsca‐09201、リチャード・E・ガット撮影

  • winnipeg54保護された都市

 飢饉の間、多くの農民は食糧をみつけるために都市へと向かった(図示)。中国の指導者は、海外の目に映る都市へ、より多くの食糧を供給した。大都市が飢饉に直面したときにだけ、政府は州の倉庫から穀物を放出した。

AP通信

  • winnipeg55絶望的な選択

 絶望的に飢えた人々は死体を食べる者までいた。中国の甘粛省からのこの政府報告書には、1959年から1960年の人食の時間、場所、犠牲者、そしてその手法が列挙されている。

労働改造所研究財団、ワシントンDC、USA

  • winnipeg56否定と歪曲

 中国政府は大躍進の政策が飢饉の原因であったことを否定した。飢饉は干ばつと洪水のせいだとして、不満を言ったり問題点を指摘する人々を残酷に罰した。多くの政府高官と中国メディア関係者は、飢饉の広がりと中国政府の関わりを否定し続けた。

  • winnipeg57大臣更迭

 1959年に、中国共産党国防部長の彭徳懐(写真)は、大躍進についての懸念を表明した。政府の政策によって引き起こされた大規模な飢饉を目の当たりにして、彼は改革を訴えた。毛沢東は彼を反逆罪として応じた。彭徳懐に耳をかせなかった毛沢東は、何百万人以上もの農民を死に追いやる方針をとり続けた。

AP通信

  • winnipeg58プロパガンダ

 理想化された共同体のこのポスターは、豊作、裏庭の溶鉱炉、食事と洗濯の公共施設、そして民兵組織を描いている。毛沢東主席は、中国人民に大躍進を支持させるために、このようなプロパガンダを用いた。

社会史国際研究所(アムステルダム)

  • winnipeg59”自然災害”

 大躍進の期間中、中国の新聞は、飢饉が起きたのは政策によるものではなく、自然災害によるものだと報じた。洪水(図示)と干ばつが起きたが、それは通常気象の出来事であった。

ゲッティイメージズ、タイム&ライフ写真、ジョン・ドミニス撮影

  • winnipeg60沈黙を破って

 多くの人々が大躍進中における人権侵害について発言している。今日、飢饉発生時の中国政府の責任を暴露する書籍や映像は、中国の国外では広く入手できる。しかし、中国の国内においては、その資料へのアクセスが厳しく制限されている。中国国内でそれを話すと逮捕投獄の危険がある。

  • winnipeg61大躍進の暴露

 1959年に彼の父親が餓死したとき、ヤン・Jisheng(写真)は19才であった。その後、忠実な共産主義者になったヤンは、大躍進期間中の極秘文書にアクセスできるようになった。彼は中国政府の公式な歴史認識に疑いを持ち始めた。彼の尊敬する父が、大躍進期間中に起きた飢饉について記録していた文書をまとめた彼の書籍は、墓碑と呼ばれた。その本は中国では発禁となった。

ウィキペディア、永興 撮影

  • winnipeg62処罰される批判者

 人権活動家ハリー・ウー(写真1995年)は、中国の強制労働収容所 を告発する労働改造研究所財団を設立した。ウー(呉)は1960年、中国政府を批判した。彼は処罰を受け、19年間を収容所で過ごすこととなった。

AP通信、グレッグ・ベイカー撮影

  • winnipeg63人々の記憶

 中国河南省のShuangjing村で、シュー喬は飢饉犠牲者の記念碑のそばに座っている。シューは人民記憶プロジェクトのために、飢饉の生存者に聞取り調査を行った。このプロジェクトで生存者の話を記録することによって、大躍進の真実を暴き出した。

シュー喬 提供